まだまだ半袖服が必要だろうと勝手に思い、衣替えや冬用のカーテンに変えるのを先延ばしにしていたら、いつしか肌寒く目が覚めていてもお布団から出たくないようになりました。10月は一年の中で一番好きな月ですが、これからどっと秋が深まり冬の気配が近づいてきそうですね。そういえば夏は全国規模でコロナワクチン狂想曲がみられましたが、今度はインフルエンザワクチンの話題となりました。早いものです!
10月度の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「オンライン がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は10月18日(月)に開催されました。夜のオンライン講座に参加するために、昼間、急ぎの原稿を仕上げていましたら、訃報が二件とびこんできました。
一人は、女性初の官房長官を務められた森山真弓さん(老衰)。もう一人は、作家の山本文緒さん(膵臓がん)。森山さんは93歳での老衰ですから自然ですが、山本さんは58歳の若さで、しかも〈がんの王様〉ともいえる膵臓がんとの闘病の末の死。さぞ辛く苦しい日々を過ごされたことでしょう。秀逸な作品を残されただけに贔屓にしていた作家で、また同じ部位のがんで家族を失っていることもあり、敏感に反応し、口惜しくやりきれない思いです。ご冥福をお祈りいたします。
さて、この日は、NPO法人がんサポートナース代表理事の片岡幸子さんが、「緩和ケアは早期から ~がんと診断された方や御家族に必要なケア~」というテーマで、病院看護師から法人を設立して緩和ケアの啓発活動をするに至った理由などを中心にお話をしてくださいました。
多くのがん患者さんやその家族と接する片岡さんが聞き取り調査を行ったところ、
「がん闘病中で一番辛かった時はいつ?」という質問に対し、多くが、
「がんと診断された時」と答えたそうです。
終末期にはいったことを医師から告知された時ではなく、がんに罹患していると告知された、つまり闘病の始まりが一番しんどく感じたということです。がんで家族を失った私も、確かにそうだと思います。自分ががんに罹患したわけではありませんが、大切な人ががんになってしまうとどうしても死と結びつけてしまい、恐怖と不安に支配されてしまうものです。
しかしながら、人間の底力は侮れないもので、闘病を重ねるうちに次第にがんという病気にも闘病生活にも慣れてきて落ち着きを取り戻し、同時に予想される(かもしれない)死を受け入れる覚悟もできてくるようです。がん(それ以外の病気の方もそうだと思います)患者さん本人とそれを介護したり見守ったりする家族の方との思いは、多少の差はありますが同じようなものだと思っています。
一般的ながん治療では、治療がうまくいかなくなると積極的治療を断念し緩和ケアへの移行を主治医から勧められがちですが、多くの緩和ケア専門医が提唱されるように、緩和ケアは早期に取り入れたほうが治療効果もあがるし、延命時間もあがることが報告されています。
しかしながら、がん治療の現場では積極的治療と緩和ケアの同時進行は、病院側の方針や主治医の考え方などにより、なかなか実現できていないようです。立場の弱い患者さんにとっては、治療方針の対立があると病院から見捨てられしまうという不安がありますから医療側に従うしかないのが現状です。そして、治療がうまくいかなかった場合、「すべてやりつくしたけど打つ手がなくなった患者さんがうけるもの=緩和ケア」というコースが自然になっているようです。
三十年以上の病院での看護師経験をいかして、〈医療の隙間〉をうめるべく、緩和ケアをもっと早くから受けるサポートを展開する片岡さんは、緩和ケアは「自分らしく生ききるためのもの」と声高に話します。「生きる」ではなく「生ききる」という表現が印象的です。
がんサポートナースのサポート例として、個別相談、受診同行、交換日記、など忙しい病院ではいき届かないケアばかりで、患者さんに寄り添ったものといえます。おひとり様社会の現在では、病院(受診・入院)でも自宅でも何から何までひとりでやらなければなりませんから時間もかかり、心細さもあいまってストレスを覚えてしまいます。医療や介護の知識があり、不安や心配を聞いてくれる人がいると安心されることでしょう。
介護する側もついがんばってしまいがちですが、必ず後で不調がでてきますので(経験者は語る!)ご注意ください。
樋野先生が提唱して以来、全国規模で展開するがん哲学外来の基本精神も「医療現場と患者間にある隙間を埋める」ですから、めざす方向性は同じです。緩和ケアは病気になった人、それを支える人が同時に、かつ少しでも早くとりいれて、身体的・精神的な痛みを和らげ生命の時間を大切に使いたいですよね。自分らしく生きるために。
★一般社団法人がんサポートナース 公式サイト
https://sachikokataoka.com/
【2021/10/18 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)