勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Café

コロナの時代を生き抜く      
~人はそこに存在するだけで価値がある~

 コロナワクチン接種が加速しているものの、それに比例してまたしても感染者数が増加しているようです……。そんな中(6/23)に飛び込んできた上野動物園(台東区)で双子のパンダが誕生したというニュースは嬉しい! 4年前に誕生したシャンシャンの妹か弟ということですよね。地元住民なのにシャンシャンをみることなく月日が流れてしまいましたが、今度こそ双子を(小さいうちに)見学したいと思います。そういう希望や目標をもつことが、今の時代は大事だと思います。なぜなら昨年2月に国内で本格化した新型コロナワクチン騒動に対して、誰もが「コロナが収束したら・・・」「もうじきコロナが終わるから・・・」とじきに収束すると希望的観測をもっていたため、2度目の冬・春・初夏が巡ってきたコロナ禍の中では、コロナ収束以外の希望や夢をもつのが難しいようですから。

 私事ですが、2016年12月、家族ががん患者になったことを機に地元のがん哲カフェに足を運んで以来、気がつくと拠り所となっていました。この間、がん哲学外来主宰者である樋野興夫先生の多くの著書や金言集(今日の言葉)を通して心の琴線にふれる言葉に出会い、穏やかな時間を持つことができました。どれか一つを選ぶのは難しいですが、いくつか紹介させていただきます。

お互いが苦痛にならない存在となる  → 沈黙を大切な時間として受けとめること。
「何をするか」よりも、「どうあるか」  → 黙ってそばにいるだけで相手の心は満たされる。
寄り添う心は言葉を超える  → 言葉を交わすのではなく、心を交わす対話を大切にする。

 たくさんの著書の中には、 「あなたはそこにいるだけで価値ある存在」「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」「生きる力を引き出す寄り添い方」など読み気にさせるタイトルばかりで興味津々です。

 2021年6月の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は、オリンピック開幕が迫る6月21日、オンライン開催されました。
  この日は淀川キリスト教病院でチャプレンとして患者さんに寄り添う藤井理恵さんを講師にお迎えしました。テーマは、「チャプレンとして日々思うこと ~たましいのケアを通して~」。ちなみに、「チャプレン」とは教会や寺院に属さずに施設や病院などで働く聖職者のことで、患者さんだけでなく遺族や医療従事者のケアも行います。日本では数十名しかいない職業を選んだ藤井さんは薬学を学んだ後、神学部に進みチャプレンとして活動されています。
  神職につく者は教会にいる(?)と思いがちですが、病院や介護施設などを職場にするチャプレンが増えているのは、医療現場ではできない精神的ケアを必要としている患者さんが多くいるという現実を如実に物語っていますよね。がん哲学外来の基本理念が、「がん医療の現場と患者さんの間にあるスキマをうめる」ですから、同じお役目といえるでしょう。薬の知識で病める人々を救ってきた藤井さんは、今度は死に向かう人々の伴奏者となり宗教の力でたましいに寄り添い救う道を選んだということです。 この日は、藤井さんがチャプレンの道に進んだ経緯にはじまり、病院で日々チャプレンとして患者さんと接して思うこと、たましいの痛みに対する向き合いかたなど論理的に話されました。

 深刻な病気になった時、ステージ毎に病状が変わっていきます。それに伴い病気を患う患者さんは、身体の痛みだけではなくたましいの痛みをも覚え、価値観も変わっていきます。特に、自分がここにあることの存在の根底に関わる問いかけを痛感するようになります。例えば、

○何故、自分はこんな病気になったのだろうか? 
○何か悪い行いをしたから、その報いが与えられているのだろうか?
○こんな病気になってお金がかかり、家族や大事な人に負担をかける自分は情けなく、お荷物的存在なのではないだろうか?
○運命は変えられないというが、病気(や事故など)になったことも自分の運命なのだろうか?
○たいした事を成し遂げられなかった自分は無力で価値のない人間、だからすんなり死を受け入れるべき……?

 日本は医療先進国ですが、それでも医療の限界があり、救えない生命はあります。死を待つしかない状況におかれた患者さん(もしくはそのご家族)は、心の片隅に奇跡を祈りつつ、死を受け入れる覚悟をして生命の時間を過ごさなければなりません。死を待つだけの人や大事な人を失った人にかける言葉はむずかしく、傷つけるのではないかと恐れ距離を置いてしまう人が少なくないようですが、誰にでも平等に死は訪れるものですから避けて通れないものです。
  死にゆく人の苦しみ・痛みの全てを理解することはできませんが、寄り添って人生の答えをみつける手助けをすることは、心がけ次第でできるものです。
  ……人はそこに存在するだけで価値があるもの。生命も人生もそれ自体、意味のあるものですから、与えられた生命をこつこつ生きていくことが大事……不安や恐怖で麻痺したこころを和らげることができれば、大事な人は報われるのではないでしょうか。

 オリンピックが嫌いな人は多分いません。コロナ禍では、オリンピックよりも生命が大事なのはいうまでもないのに大会が強行開催されようとしていることに、誰もが危惧を覚えているはずです。このことは、経済至上主義、効率、能力、達成するといったことにこそ意義があるといった、現代を象徴する出来事のように思えます。
  実はむずかしい寄り添い方の基本のキを学んだ、心洗われるお話、そして時間でした。

【2021/6/21 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)

 

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