勝海舟記念下町(浅草)がん哲学外来(主宰者/宮原富士子)は、毎月台東区内の施設で「がん哲カフェ」を開催し、年に一回師走の時期に「勝海舟記念下町(浅草)がん哲学外来シンポジウム」(主催/勝海舟記念下町(浅草)がん哲学外来:共催/浅草かんわネット研究会)」を開催しています。
関東甲信地方が梅雨明けした7月22日(土)、浅草かんわネット研究会、特定非営利活動法人HAP(代表/宮原富士子)共催による映画上映会が、浅草にある雷5656会館ときわホールを会場にして行われました。。 この日の上映作品は、「明日香に生きる」(溝渕雅幸監督)で、2部構成(13時/17時)での上映。
★公式サイト 明日香に生きる - いのちに寄り添う3つの映画 (inochi-hospice.com)
この作品は本年2月24日よりTOHOシネマズ橿原より全国の劇場で上映されています。奈良県にある明日香村という小さな山間の村の診療所に勤務し在宅医療を続ける武田医師と医師を支える看護師、そしてそこで生まれ育った人々の日々の営み、地域医療の実態を淡々と描き、生と死、医療とは何かという根源的な問いを見る人に静かに問いかける秀逸なドキュメンタリーです。
ところで、人は何故、死という行為を恐れるのでしょうか? この世に生まれた者は、最期の瞬間は人それぞれですが、誰にでも平等に死が訪れます。死なない人はいないのに、どうして死という言葉に敏感に反応してしまうのでしょうか。
僻地・明日香村は、そこだけ違う時間が流れているような(時がとまっているような)のどかな村です。住人は違う街へ移住し人口は激減しても、変わりなく四季はうつろい、神社仏閣では昔から伝わる神聖な行事をとりおこない時を刻んでいきます。新しく生まれくる生命があれば、消えてゆく生命も存在する。
雲が流れるように生命も流れてゆく。自然の摂理に抗うことなく、最期の時まで住み慣れた家でその人らしく生きられるように、医療という技術が手助けをする。診療所の医師は、外来をもち、点在する村の家々を看護師と共にまわり患者を診る。この診療所では、乳幼児から高齢者、ターミナル期の患者さんまで幅広くみなければならない。その上、医師が向き合うのは患者だけでなく研修医など次世代を担う医療者たちの育成にも努めなければなりません……。
一日24時間では足らないであろう医師の多忙な日常ですが、私達が都会の医療機関でみる医療者とは違い穏やかでギスギス感がないことに、気づかない人はいないでしょう。
大好きだった沖縄の民謡を聞き踊り、生命の灯が消える瞬間まで自分らしくいきようとする患者さんの姿、それを引き出そうとする看護師の温かい視線、在宅診療の現場における医療者と患者に間に流れる温かい空気感がスクリーン越しに漂ってきて、なんともいえないほっこり気分に包まれました。
さらに上映会の後、製作者の溝渕雅幸監督、映画にも出演された佐々木慈瞳さん(僧侶、公認心理師)、安達昌子さん(医師)の3人によるトークショーが行われました。 溝渕監督は本作の他、「いのちがいちばん輝く日」「四万十 いのちの仕舞」「結びの島」など生命に寄り添う作品を撮り続けておられます。
7/3に開催された浅草のがん哲カフェのレポートにも書きましたが、佐々木慈瞳さんは、2020年3月まで奈良の音羽山観音寺の副住職を務められ、現在は奈良県総合医療センター緩和ケアチーム公認心理師、西奈良中央病院緩和ケア病棟スタッフ、さらに奈良県教育委員会スクールカウンセラーでもあります
安達昌子医師は、浅草かんわネット研究会の初代理事長で、浅草のがん哲カフェ立ち上げから関わっておられる現役医師です。医療や生命に限界があるのなら、病気は治せなくても人を治すことができたら……という思いで在宅医療を選択され現在に至っています。「明日香に生きる」の武田医師もそうですが、医師にもそれぞれ役割があるということを示してくれています。
同じく、亡くなった後に関わることだけが宗教に従事する人の役割ではないと、慈瞳さんは臨床宗教師として患者さんに、さらにスクールカウンセラーとして明日を担う子どもたちに寄り添う役割を担っておられます。
慈瞳さんが奏でるオカリナの音色は、酷暑の一日に涼しさをもたらしてくれました。こういう作品がもっとたくさんの方々の目にとまることを切に願います。
※参考:一般社団法人がん哲学外来 http://gantetsugaku.org/learning/
【2023/7/29 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)