勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Café

死生観について思いを分かち合う時間をもつ

 3月度の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「オンライン がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)が終わった後、3月28日にアメリカではアカデミー賞授賞式が行われました。全世界の人々が注目するこのイベントに関してどこかの媒体でコラムを書こうと思っていましたが、公私ともにあわただしく書けないままに4月下旬となってしまいました。
 ハリウッドの話題はなんといっても、米アカデミー賞授賞式で主演男優賞をとったスター俳優のウィル・スミスが、司会者が自分の妻(脱毛症)を侮辱したと感じ、つかつかと壇上へつめよりぶん殴った暴力事件です。私の周辺でも、深刻な薄毛や脱毛に悩んでいる女性がいるだけに気持ちはわからないでもありませんが、暴力は認めるわけにはいきません。我慢できなかったのかなぁ~というのが正直な感想です。結局、波紋は大きくこの事件に関する報道がしばらく続いたことはご存じのはず。
 もう一人のスターの話題は、日本でもおなじみのブルース・ウィルスが失語症となり芸能界を引退するということ。67歳での引退はもったいないですが、役者がセリフを覚えられないのでは仕方がないかもしれません。富・権力・社会的名声をもっていても病気にならないことはありません。これからウィルスがどう生きるのか、その後の情報を知りたいものです。

 2022年4月度の「がん哲カフェ」は、GWがせまる4月25日夜7時から開催されました。日本国内は入学・入社など新生活を踏み出す時期であるため、コロナもロシアとウクライナの戦争も終りませんが、街には人があふれ活気づいているようです。
  この日のがん哲カフェ参加者の職業は、医師・看護師・薬剤師・介護職、そして編集業(私)。コロナになって3度目の春を誰もが忙しく過ごしているようです。いろいろなことが始まる新年度ですから、コロナ禍も終わることを信じて(願って)、2020年7月号から前号まで続いた「コロナの時代を生き抜く」シリーズを終了したいと思います。
  前回同様フリートークの内容でしたが、参加者は職業上、日常的に死と近い距離で生活していたり、実際に大事な人を亡くした人もいたり、死生観についてそれぞれの思いを分かち合う時間を持ちました。

 ところで、どの時点で死というのでしょうか?
  一般的に人の死を判断するのは、心臓が動きをやめた時、つまり肉体が滅んだ時をいいます。 しかし、世の中には心臓は動いていても脳死状態の方が多くいらっしゃいます。また、自然災害やなんらかの事情で行方不明になった人を抱える家族やその周辺の方々は、生死が明らかでないために死を受け入れることができず納得がいく時(とき)を“待っている”ものです。
  さらに、大事な人を看取り、きちんと葬儀をすませても、なかなか死をうけいれられない方も少なくありません。米アカデミー賞授賞式に話を戻しますと、今回、日本映画「ドライブ・マイ・カー」が世界的に高い評価をうけ、米アカデミー賞でも作品賞、監督賞(濱口竜介)、国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)にノミネートされ、日本映画史上初となる国際長編映画賞に輝きました。よくやった!と(マスクを外して)大声で叫びたいですよね!
  この作品は妻と死別した男の喪失感をみつめた、つまりグリーフケアを描いています……。 日本史上あまりにも有名な天璋院篤姫は13代将軍家定の正室ですが、夫の死を妻でありながら一か月近く知らされなかったといいます。周辺の男たちの政治的かけひきがあったのでしょうが、看取りもできずに夫の死を受け入れなければならず、さぞかし無念だったことでしょう。

 つまるところ、どの時点で死なのか?といったデリケートな問題は、向き合い方、感じ方、人それぞれのようです。
  答えに少しでもちかづくために時に歴史や哲学が必要なのではないでしょうか。近く、当会のメンバーで“勝海舟おじさん”こと江川さんに「歴史の中の看取り」についてお話いただこうと思います。

<参考> https://eiga.com/official/oscar/sokuhou.html

【2022/4/25 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)

 

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