2023年最初の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「オンライン がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は、1月23日に開催されました。コロナ禍の中、引き続きオンラインによる開催ですが行動制限のないだけに地元浅草は以前のような活気がもどってきた感じがします。一時はパタッと見なくなった西洋人の姿が街のあちこちにみられ、観光地在住の私としては喜んでいいのかどうか複雑な気持ちです。
さて、この日は昨年後半から実施している、「がん哲学外来」にいろいろな形で参加したいと考えている方のために引き続き「がん哲学」の基本のキを学ぶ時間を持ちました。講師は、前回同様「大阪がん哲学外来 メディカルカフェあずまや」主宰者の東英子医師。2022年11月は「ACPと意思決定」、12月度のがん哲カフェでは「傾聴について」、そして今月度は「がん哲学外来カフェにおける倫理について」という題目で話されました。
私事になりますが、細々と続けているライター業の仕事の中で、随分前からやらせていただいている案件がありまして、この仕事の納期が正月明けなので、正月休み(大体、12/30~1/3)中も気になってちびちびデスクにむかっている日々がずっと続いています。そうでなくても、年末年始は(誰もがそうだと思います!)やることが多くジェットコースターにのって次の日を迎えているような感じで、師走に区内のパワスポにお礼参りをしたかと思うと年明けすぐに今度は初詣、挨拶廻り、正月のかたづけ等々、一息つく暇もなく、10日頃にようやく多忙の波が少し収まるといった過ごし方です。
そんなものですから、なかなか会えない姉と電話で話す時につい「忙しい、忙しい~!」を連発してしまいます。もちろん自分が世界で一番忙しいなどと思うほど高慢ではありませんし、助けてほしいと思っているわけではありません。話すことでスッキリ、自分はこんな生活をしているのだということをわかってくれる人がいると嬉しいのです。聞き上手な姉は電話口でペラペラしゃべり続ける私にさぞうんざりしているでしょうが、ありがたいことによく聞いてくれます。
がん哲カフェ(特に主宰者)に必要なスキルのひとつに傾聴がありますが、私は正直なところ苦手としています。傾聴を学んだことのない姉は十分このスキルをもっていると私は思っています。身内だから特別視しているのではなく、私の周りにも同じように感じる人は数人いるのは確かで、人の話をきいて形にする(モノをかく)ことを生業にしている私にとって必須のスキルをもっている方々を尊敬する次第。そして、その能力は特に苦しみを抱えている方々(グリーフケアなど)の分野でいかしてほしいと心から思う次第です。
話をがん哲カフェに戻して、今月のテーマは「がん哲学カフェにおける倫理」でしたが、カフェにおける倫理とはどういうものでしょうか? というより、「倫理」と「道徳」は同じ意味で使われているのか、それとも似て非なるものなのでしょうか? 普段、気にもとめずに使っているのではないでしょうか? 東先生は、独自のテキストをつかい掘り下げてわかりやすく解説してくれました。
最近、またしても悲惨な事件がおきました……。元恋人の男に生命を奪われたストーカー殺人事件、強盗団に暴力をうけ亡くなった高齢女性殺害事件……。どういう生き方をすれば、かつて愛した恋人の身体を複数回ナイフで刺してしまうのか、どういう道徳観をもてば高齢者を骨が折れるほど殴打して死に至らしめる残酷な行為ができるのか? 日本国民であれば特別な理由がない限り、小学校・中学校という義務教育期間を通して内容やかける事件は異なるとはいえ倫理・道徳の時間があり、人としてしてはいけないことや守るべきことなどを学んできたはずです。
近くにイジメをうけていてその人が苦しんでいたら、一般的に人は「可哀そう」と共感しますし、共感する能力をもっているはずです。
がん哲カフェに限定して考えると、がんに罹患しカフェにやってくる人(またはその家族など)は、苦しみを抱えた「弱者」といえます。そして、彼等に寄り添う人は「ボランティア」です。病院ではありませんから診断はなく費用などかかりません。がん患者さんが受診している病院で十分満たされているのなら、おそらく彼等はカフェに足を運ぶことはないでしょうが、実際はそうではない人が少なくありません。これまで何度もコラムで書いてきましたが、診断・治療をする医療機関ではできない、つまりスキマをうめる役割を担うのががん哲カフェです。
そういう場であるがん哲カフェですから、当然、寄り添う側のボランティアスタッフの心構えが必要なのは言うまでもありません。「心構え」は「倫理観」と言い換えてもいいでしょう。全国津々浦々カフェが存在する中、それぞれが個性をもった存在で、その中でルールがあることと思います。
人が集まるところにはルールは必要ですが、「あれはダメ、これはダメ」とするよりも、まずはカフェに関わる人たちの共感能力が必須なのは言うまでもありません。この能力に自信がないと思う場合はどうしたらいいのでしょうか?
東先生によりますと、習慣づけることで習得されるもので、それによって「人間の成熟」が達成できるとのこと。
「セイジュク」……若い頃からどれほどこの言葉に憧れてきたことでしょう。この域に達するために夢中で学び続けてきたような気がします。今年も達成するための努力を続け、傾聴スキルの向上もめざすつもりです。
人の話を「聞く」の「聞」は、耳。「傾聴」の「聴」は、心。そう、心で相手に寄り添ってきかなければいけないのですね~。それから、アルカイックスマイルも身につけなくては!
「人間的成熟」に年齢は関係なく、若い方々でも成熟を感じさせる人間力をもった人に出会うことも多々あります。毎日がすさまじい勢いで過ぎていきますが、学ぶことが多すぎてボケる暇などありません、シ・ア・ワ・セ!
※一般社団法人がん哲学外来 http://gantetsugaku.org/
【2023/1/23 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)