天高く爽やかな秋晴れの日が続きますが、16時頃になると薄闇がせまり17時には暮色がおりてきてどっぷり夜の闇に包まれます。この原稿を書いているのは(11/19)、あと数日で厳しい冬がやってきます。乾燥は、コロナ・風邪・インフルエンザにかかりやすい条件ですので、これまで以上に気をつけて過ごしたいものです。事実、ここのところ感染者数が再び増加傾向にあり、連日のように「過去最多」を記録しています。
TVでニュースを見ていましたら、大晦日の恒例行事「紅白歌合戦」の出場歌手の発表があり、当然ですが無観客放送だと告げていました。そうか~もうそんな時期なんだと改めて時の流れの早さを実感しました。
今年も残すとこと一月半となった11月16日夜、「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)が行われました。引き続きオンライン開催、リアル開催ですと台東区民の参加がメインでしたが、この日は岩手、山梨、香川、静岡(浜松)、静岡(清水)、埼玉(大宮)、墨田区(東京)、荒川区(東京)からの参加者があり、オンラインならではの幅広い繋がりができたようです。
今回のカフェでは、浅草のがん哲カフェの歌ができた!ということで、作曲をてがけてくれた「わをん」さんにご参加いただき楽曲を披露していただきました。作詞は、がん哲主宰者である樋野先生がこれまでカフェ、講演会、書籍など至る所で広められた数々の言葉を巧みに構成してできあがりました。出だし部分が今回のタイトル使用した、
~ほっとけ、ほっとけ、気にするな~ です。
がん患者さんのストレスは、4つに大別することができます。
【身体的苦痛】
文字どおり、手術や抗がん剤の副作用などで身体のあちこちに苦痛がでてきます。
【精神的苦痛】
がんになってしまったことで将来の不安や怒りがわいてきたり、うつや不眠の症状が起きたりすることがあります。
【社会的苦痛】
日常が中断されたことで、治療費や生活費に関する悩み、家族や仕事の続け方などについて悩むことがあります。
【スピリチュアルな苦痛】
これから何のために生きていったらいいのだろう、病気になって家族に迷惑をかけてまで生きる価値があるのか、といった生きる意味や自分の存在価値について悩むことがあります。
2人に1人が罹患するといわれるがん。がん患者さんやその家族を含めると、夥しい数の方々が苦痛や生き辛さを感じて(もちろん、がんに限りませんが)生きていらっしゃることでしょう。全国展開するがん哲学外来は、医療現場ではできない精神面のサポートを目的としております。では、がん哲学外来の歌が、
~ほっとけ、ほっとけ、気にするな~ と突き放しているのは何故?と思われることでしょう。
がんを患う患者さん(あるいは家族)にとって、治療に携わる医療スタッフにほっとかれることは「見捨てられる」と同じ意味で困りますが、生活の場に戻るとどうでしょうか?
○具合はどうなの?と毎日おなじことばかり聞かれて病人扱いされるのは? →病気になっても「病人」ではありません。ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
○がんに罹患したことをあちこちに話されて、その結果、見舞いの連絡や来訪者が続くのは(ある意味)大変なのでは?
→悪気はないと信じたいものですが、いい回る内容ではありませんよね。 ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
○心配しているのでしょうが、あまり治療効果がでていないと分かると次なる手段をあれこれ探してきては勧められたらどうでしょうか? しかもそれが高額の場合は?
→こちらも悪気はないのでしょうが、お金が絡むことを提案されるのは 考えてしまいます。ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
○サバイバルするために辛い抗がん剤治療を続けているのに、家族から亡くなった後の相談(相続など)をされたらどうでしょうか?
→がんばっているのに失礼ですよね! ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
○ご主人ががんになり必死で介護をしているのに、親族から「がんになったのはあなたのせい」と言われたらどうでしょうか?
→ 何の根拠があってそんなことを言うのでしょうか? がん患者を介護する家族は「第二の患者」といわれるほど心のケアを必要とされています。 ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
私の知り合いの女性は、がん患者の家族を介護し続けて5年目。笑顔で介護するために容体が落ち着いている時は、リフレッシュしてスポーツジムにもいくし、たまにはオシャレしてでかけるように心がけています。介護には自身が健康でいることがなにより大事で体力とストレス発散が必要だからです。しかし、親戚や近所の方から「病人をほったらかして遊びにいっている!」と非難されて嫌な思いをしたそうです。家族の了解をとっての納得の行動ですのに余計なお世話ですよね。
→自分の物差しで判断しないで欲しいものです。介護する人はオシャレに無縁のようなやつれた姿をしていないといけないのでしょうか? やつれた姿だと介護される側も心配するのではないでしょうか。ほっとけ、ほっとけ、気にするな!
終末期でない限り、がん患者さんは亡くなる直前までフツーに生きることができますし、がんに罹患したからといってがんで死ぬわけではありません。医療技術の進歩で生存率も年々高くなっています。つまり、自分の身体の中のがんと共存していくことが求められるのです。生命の長短は神様しかわかりません。だからこそ、曖昧なことは曖昧なままで、ほっとけ、ほっとけ!の精神で生きたいものです。
※この楽曲は、12/19開催 「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来シンポジウム」で 披露されますのでお楽しみに!
【2020/11/16 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)