猛烈に暑く、元首相暗殺事件がおきるなどざわざわした長い夏が終わり、待望の秋がやってきて日が落ちるのが早くなりましたね。今夏7月・8月、台風は少なかったものの9月は多く、そのうえ賃金はあがらないのに物価はあがり、コロナもしぶとく息を吹き返した感があり、いい思いをした人はあまりいないのではないでしょうか?
今週末から10月になる9月最後の週。9月27日、反対の声が多くあがる中、莫大なお金をつかって元首相の国葬が行われるため前日は急ピッチで準備されていました。少し前に行われた英国女王の国葬のように世界は注目するのだろうか?と思っていましたら、国外ではそれなりに関心が集まっているようでした。この原稿を書いているのは国葬翌日、国葬当日夜のニュースをテレビでずっとみていましたが、あきらめずに最後まで反対デモを繰り広げた人々の力によって美化一辺倒になることが回避できたのではないでしょうか。これがなされると、国民は自由に発言することすらできない国家(どこかの国のように!)となることでしょう。
国葬前の9月26日、厳重な警備体制が敷かれていた中、2022年9月度の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「オンライン がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)が開催されました。
がん哲カフェの母体となるのは、「がん哲学外来」(正式名称は「一般社団法人がん哲学外来」)で、全国のがん哲カフェの頂点にたつ元締的組織です。全国津々浦々に存在するがん哲カフェは、それぞれが個性豊かな活動を展開していて、当会「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」はその一つで浅草を拠点に活動しています。
浅草のがん哲カフェの主催者である宮原富士子さん、メンバーの一人である江川守利さん(渋沢栄一記念王子・吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェ主催者)、そして当会の常連でもある東英子さん(医師/大阪がん哲学外来メディカルカフェあずまや主催者)は、「一般社団法人がん哲学外来」新体制に伴い理事に就任され、益々精力的にがん哲カフェの普及に活動されることになりました。
そこで、今回のがん哲カフェでは、初心に帰る目的で「がん哲学」について再度学ぶ時間としました。
★一般社団法人がん哲学外来
http://www.gantetsugaku.org/index.php
大阪で「大阪がん哲学外来メディカルカフェあずまや」を主催する東先生は、当会(がん哲カフェ)でも講師としてお話しされたことがありますが、今回は、「がん哲学」と何なのか、がん哲学に登場する歴史上の人物について、初心者にもわかるように説明されました。 がん哲学をご存じない方のために改めて、
がん学(サイエンス)+哲学(生き方・あり方)=がん哲学
この「がん哲学」というのは提唱者である樋野興夫先生(「一般社団法人がん哲学外来」名誉理事長)の造語であり、医療の隙間を対話で埋めること、と東先生。 さらに、江川さんと同じく歴史と読書を趣味とするだけに、がん哲学に登場する歴史上の人物を紹介し、その関係性を通して学問が飛躍していく繋がりの見事さを教えてくれました。
江川守利さんは、浅草のがん哲カフェ以外に渋沢栄一記念王子・吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェを主催されています。浅草の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」という名称は江川さんの発案。歴史大好きな江川さんが、とりわけ尊敬するのが勝海舟で、浅草は勝海舟のなじみの地であることからこの名称が誕生しました。 今回は、勝海舟が残した言葉の処方箋を紹介し、貧乏武士の家に生まれた勝海舟がいかにして歴史に名を残すまでになったか、残した示唆に富む粋な言葉の数々を紹介してくれました。
今回のカフェに参加したメンバーの中に初参加者はなく、ほとんどが常連ばかり。それでも、改めて言葉をかえて聞くと新たな発見があることに気づきます。つまるところ、人(助けを必要とする人、患者さんなど)の数だけ言葉が必要ということであり、そのためには「対話」が必要なのだと再認識しました。
国葬当日、ノンフィクション作家の佐野眞一さんが肺がんで(9/26没)、カタルーニャ語・スペイン文化研究者の田澤耕さんが大腸がんで(9/24没)亡くなられたことを知りました。佐野さんは、私がかけだしのライターだった頃から注目していた方でしたため、恩師を亡くしたような寂しさを覚えます。田澤さんはつい最近、彼の著書「カタルーニャ語 小さなことば僕の人生」を某媒体で紹介させていただいたばかりでした。その著書のあとがきに、ご自身が末期がん患者であること、残された生命の時間で生きた証として本書を完成されたことなどを記されておられましたので気になっていた次第です。
二人に一人ががんになる時代ですからがんで生命を落とすことは珍しくはありませんが、がん哲カフェに関わっているだけに特別な訃報でした。
★「カタルーニャ語 小さなことば僕の人生」
https://book.asahi.com/article/14695190
家族ががん(末期)宣告をうけ、闘病中に藁をもすがる思いで浅草のがん哲カフェの扉をあけたのは2016年12月。以来、がん哲カフェのスタッフとして関わり続けて6年目を迎える私は、2年半の闘病、死別、喪失感との闘いを経て、現在はなんとか落ち着きを取り戻すことができました。医療・介護従事者でない私にできることはあまりありませんが、がんに関わった様々な経験、そしてがん哲での学びをいかして、今後もがん哲カフェに広く関わっていきたいと決意を新たにした次第です。
【2022/9/26 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)