勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Café

コロナの時代を生き抜く      
~生命の時間を思う機会を持つ~

 学生時代は体育会系でしたのでスポーツはするのも見るのも好きでオリンピックは大好きですが、(多くの方々がそうであるように)開催しないほうが世界のためと思っていたものの物議を醸した東京五輪は始まってしまいました。
 そして、1年間の鬱憤をはらすかのように地の利を味方につけ、いきなりメダルラッシュとなっています。やはり、スポーツのもたらす感動は大きく、昨年からコロナ禍で不安ばかりの日々を一掃させるような効力があるのは確かです。がんばっているアスリート達のためにも、引き続きステイホームで観戦・応援するつもりです。
 そんな中、2021年7月の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)が、7月26日にオンライン開催されました。
 この日の講師は、がん闘病の末、幼い子ども3人を残して逝った伴侶との辛い死別体験を通して、「いのちの講演家」として全国で講演活動を行う岩崎順子さん。テーマは、「いのちのメッセージ ~生かされていると気づいた日々~」でした。
  オリンピックにわく夏の夜の1時間、全国からバーチャル空間に集まった20数名が、体験にもとづいた貴重な話に耳を傾けました。

 毎年8月は終戦記念日前後を軸に戦争を知る機会として戦争を題材とした映画やテレビドラマが放送されます。世界を戦火に巻き込んだ戦争がおわってから70年以上たった現在、こういう取り組みがなければ戦争の記憶が継承されることは難しくなるため、これからも続けていって欲しいと心から願います。
  戦争がなくても人は、生まれてきたからには必ず「死」を経験します。残された者は先に逝った者を悼み、どんなに悲しくても自身の時間を全うするしかありません。戦争同様、他人事と思わずに生命を考える時間を持つことは必要ですよね。

 この日のがん哲カフェ参加者のほとんどが大事な人との死別を体験しているだけに、亡き人を思い、かけがえのない現在や必ず訪れる死を思い語り合った、わかる人が集まった有意義な会となりました。
  私自身は、「(深刻な病気に罹患し医師から余命宣告をうけている)人は、生きようと思っても生きれない。(辛くて早く楽になりたくて)死のうと思っても死ねない。生かされている存在」という言葉が心に響きました。今年6月30日に亡くなった大島康徳元野球監督は、余命(1年)宣告後、抗がん剤治療をつづけ、闘病を自身のブログで発信し続けました。死の直前に発信された「病気に負けたんじゃない、俺の寿命を生ききった……」が印象に残っています。
  参加者からも様々な感想があがりました。

○大事な人の死を事務的にかたづけるシステム化した死後処理に抵抗を覚える。医療者にこそ、こういう生命の講演(授業)をきく機会を持って欲しい。
○生命の時間を考える(思う)時間は必要だと思う。
○(最期は神様しかわからないが)死を自覚している患者さんは、最期の瞬間を自分で選んでいるように感じることがある。

 がん哲カフェ主宰者の宮原富士子さん(みやちゃん)は、「逝ってしまった人のことを語り続け、一緒に“生きて”ゆくことが生きている者の務め。そうでないと、死んだ人は完全に死んでしまう」と語りました。
  生命を考える材料(テキスト)としてお薦めするものは多々ありますが、今回は講師絡みで次の作品を紹介させていただきます。

1)「ガンが病気じゃなくなったとき」(岩崎順子・著/青海社・刊)
2)「いのちがいちばん輝く日 ~あるホスピス病棟の40日~」
   「四万十川 ~いのちの仕舞い~」「結びの島」

溝渕雅幸 : 関連作品(映画) - 映画.com (eiga.com)

 オリンピックが開幕し、勝負の興奮やアスリートたちのストーリーに感動する日々が続く中、水を差すように(7/27現在)感染急拡大となり、特に開催地東京では過去最多の感染者数を記録しました。想定内だった(?)とはいえ穏やかではありません……。
  戦争は生ある者の努力があれば起こさずにすみました。コロナ感染拡大も同じです。次回開催となったパリ五輪でも、今大会のような制限つきの開催とならないように、私達はできることをやっていくしかありません。かけがえのない時間、そして生命のために。

【2021/7/30 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)

 

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