6月度の「下町(浅草)がん哲学外来」の「がん哲学カフェ」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は、大阪北部地方地震が起きた日の夜だった。7月のカフェは月末の30日に開催。大阪で大きな地震がおきたかと思うと、7月は「西日本豪雨」と名付けられた大災害がおき、広島・岡山など広範囲に甚大な被害がでた。さらに、例年どおり台風が接近し、それが被災地を再び襲うのではないかと危惧された。
「猛暑列島」の7月は酷暑が続き、「これまで経験したことのないような……」という言葉が飛び交った。私の周りでも、医療従事者が熱中症になり救急外来の世話になった人が数人いて、とても驚いている。
地球温暖化の影響だと思うが、世界はこれからどのようになっていくのか、気になるところだ。まだ2か月は厳しい暑さが続くと予想されるため、(特に)被災地の方々の健康に配慮した文化的な生活が取り戻せるように願うばかりだ。
酷暑の夏は身体の疲労が激しいせいか一日がゆっくり過ぎていくような感じだ。そんな中、開催されたがん哲カフェ。この日のテーマは、メンバーの中で「自分史活用アドバイザー」という肩書きをもつ私(桑島)が、「自分史の効能」について話をさせていただいた。
家族(夫)が、ある日突然がん患者になり、日常の中に「がん」という言葉がどっしり入り込んでいる私の自分史(ライフヒストリー)上、夫のがん発症・闘病は大きな事件である。同じように、西日本豪雨という大災害に遭遇された被災者の方々は、この夏、自身の自分史上、大変悲しく辛い経験をされたことと思う。
できれば時間を巻き戻せたらと思うことだろう。しかし、戻せたとしても(意地悪な言い方かもしれないが)、他の不運は舞い込んでこない(こなかった)という保証はどこにもないのである。
何故、健康に十分気を付けていたのに彼(彼女)は、がんに罹患しなければならなかったのか? 日本列島の中で、何故、西日本の限定された数か所だけに大雨が降り災害がおきたのか?
あの時、家族で旅行にいっていたら災害に巻き込まれなかったのに……。
あの時、ちょっと覚えた違和感を放置せずに、大きな病院に行っていたらよかったのに……。
悔やまれるだけに「タラレバ……」を考えてしまうものだが、「起こってしまったこと、つまり過去は変えられない」ということを忘れてはならない。変えられないから世をはかなんで自暴自棄に生きるのではなく、起きたことを肯定的に捉え未来にいかしていく。それが、私が自分史に関わる際に重要視している点である。そうすることによって、過去の出来事の意味を理解し、自身の「意識の中で過去を変える」ことが可能になると考えている。
フリーランスライターでもある私(こちらの方がキャリアが長い)は、長く一般の方々の自分史案件に関わってきた。自分で書けない、書く時間がない、書くことはできても編集やカタチ(製本、DVD、映像など)のノウハウがない等の理由で自分史製作会社や編集プロダクションなどに依頼されたお客様の案件を引き受け、70名近い方の人生を聞かせていただいた。
モノを書く仕事をしているので、他者と比べると「自分史」は近い距離にあるといえる。自身の自分史製作はまだだが、コラムや同窓会会報に寄稿したりして、自分史めいた原稿は多く存在しているので、後はまとめるだけである。
そういう私が自分史絡みの仕事をしていて思うのは、「語るほどの人生ではない」「振り返るにはまだ早い」「時間もお金もないから自分史なんてもったいない」などの理由で自分史作りと距離を置いているのであれば、「あなたの人生は、世界にひとつだけ」「誰でも語るべき何かを持っている」と声を大にして言いたいことだ。
立派な製本にした自分史が「自分史」である必要はなく、メモ書きでも、古いアルバムに溢れている家族の思い出写真を整理したもの、得意のイラストでまとめたもの、絵日記など、自分なりの表現方法で、来し方(過去)を振り返り、記憶を記録して残す。その過程を楽しんで欲しいと思うのである。
フリーランスライター兼自分史活用アドバイザーの私の日常は、がん患者の家族の見守りを中心に、基本的に在宅で仕事をこなしている。自分史活用アドバイザーとしての夢は、まずは居住地の台東区の方々向けに、気楽にお茶を飲みながら自分史作りを楽しむ「自分史カフェ」を開催していければと思っている。「がん哲カフェ」のようなスタイルで。
自分史カフェの内容は、「記憶を記録する」プロセスをワークショップスタイルで進め、参加者で発表しあうというスタンスだ。
この日の「がん哲カフェ」では、「自分史を介護の現場に活かす!」という題名でお話をさせていただいたが、参加者の意向で、「介護のためではなく自分自身のために自分史をどう活用すればいいか?」に変更して欲しいというリクエストがあり、急遽、自分史について各々の意見を交換しあった。
2人に1人ががんになる時代、がんになったことを悲観するのではなく、がんになっても人間らしく生きるために哲学的アプローチでがん患者を支援する「がん哲学外来」の目指すものと自分史の基本のキは通じるものがあるのではないだろうか。
定年退職した時間がたっぷりある(?)方がやるものが自分史!という認識を捨て、若い方々にも自分の過去と現在を見つめ直すことで多くのヒントを得て、豊かな未来を歩んで欲しいと切に願う。
【2020/7/30 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)