先週(3/12)、税務署にいく用事があり上野公園の近くを歩いていたら、一部サクラが咲いていてもうそんな時期かとハッとしました。そういえば前日のニュース番組で、「全国的に平年よりかなり早い開花となり、東京では3/14開花予想、3/22には満開が予想される」といっていたことを思い出しました。
コロナ禍で依然として不要不急の外出を自粛しなければならないのに、どうして街に若い人たちが集まってお酒をのみながらワイワイやっているのかと思っていたら、(この原稿を書いているのは3/17)世の中的に卒業シーズンということもあるようです。3月卒業システムをとっている日本では、「卒業とサクラ」は言うまでもなくセット。サクラはそれぞれの卒業の思い出を情緒的に演出する必須かつ最強アイテム。世代間に関係なく日本人ならばどの世代の方々も、パッと咲いてパッと散っていく儚さ・潔さに感嘆し、それぞれの旅立ちを新たにしてきたのです。サクラのようにコロナ禍もパッと収束して欲しいものですよね。
2021年3月の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は、サクラが所々さきだした3月15日に行われました。
2回連続開催「アーユルヴェーダのお話」の2回目で、この日のテーマは「病人の病気を治す」。講師は大阪で「メディカルカフェ あずまや」を主宰するあずま在宅医療クリニック医師の東英子先生です。前回、喘息をアーユルウェーダの薬で治した経験を含めてお話されましたが、2回目では、実際にインドに赴きパンチャカルマ体験ツアーに参加された経験をもとに哲学的に考えられるようにお話されました。
アーユルヴェーダにおいて、「医の倫理の四条件」は次のとおり。
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○人類愛
○病人への思いやり
○治療可能な患者の治療に専念すること
○死につつある患者の治療は断念すること
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ところで、東先生は数年前、大阪のクリニックをしめて3週間の休暇をとり、病を抱える人をみてきた医者が患者の立場となってアーユルヴェーダを試しました。医療業界事情に疎い私が言うのもなんですが、他人(外)に目を向ける姿勢をもつことは多様性を認めることに繋がり、業種業態を問わず大事ですよね。
そこで先生は、療養環境のよさ、病を患っている患者やその家族の穏やかさに、まず驚いたそう。さらに、施術を通して、自身の既往歴や家族との関係性についてずばり言い当てられ、精神と身体がいかに結びついているか驚きを禁じ得なかったと話します。
知らぬ間にストレスなど諸々の要因でがちがちかつボロボロになった身体があるとします。どんな優秀な医師にみてもらってもどんなに高額な代金をはらって薬やサプリメントを試しても、効果がでず不調が続いていたところ、憑きものが落ちたように回復する。「身も心も軽くなる」という実感が得られること=「デフォルトを知る」ということです。そんな経験をしたこと、あるのではないでしょうか? そんな時、人は、なぜ、不調がなくなったのか、とその答えを求めるものです。「答え」は、表現を変えると「理由」「真実」と置き換えてもいいでしょう。
アーユルヴェーダは、「食事法や健康法(ヨガ・瞑想)といった日常生活に関わるものから生命そのものまでを科学する医学」ですから、病気を治すことが目的の西洋医学とちがい、身体を整え自然治癒力を高めることを目的にしています。
丈夫を自負してきた私も深い喪失感を抱いた時、身体のあちこちに不調がでて病院の診察券が増えたことがあります。ましてはコロナ禍の現在、確かに不安と恐怖を抱えていて、もう1年以上、親しい友人知人と外食をしていません。緊急事態宣言がだされたり解除されたりしても、いつしか慣れていることにも気づきます。戦時下(経験ありませんが)の閉塞感を思えばたいしたことはないと辛抱しているわけですが、人は緊張感が続くとかなりのストレスを覚えるものです。その証拠に、最近、またしても感染者数が(特に若い世代の)増え、変異株が出現したこともあり、注意が呼びかけられています。
日本を含める先進国の多くの国民は医療をうける環境が整っています。そのせいか、喫煙は身体に害を及ぼすとわかっていてもやめられないなど、自分は適当なことをしていて不調になったら病院にかかり、薬をもらってよくしてもらうという考え方をしがちです。薬をだす立場の薬剤師のみやちゃんは、現代人の薬依存に不安を覚えています。
IT技術の進歩によってつながり過ぎた世界。活用次第で仕事や家事などの時間ロスが回避できます。生きるための資本である身体と精神のケアは、ゆっくり時間をかけて行いたいものです。よく通る公園のサクラが咲いているのに気づかない生活なんてもったいないと思いませんか!? コロナ禍は、アーユルヴェーダの時間感覚(ゆったりと生きる、あせらない、あくせくしない)を倣いたいですよね。
【2021/3/15 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)