20118年3月の「がん哲学カフェ」は、一年前に日本中を騒然とさせた森友問題が再燃、最強官僚といわれる財務省内で公文書が平然と改ざんされるという前代未聞の大事件に揺れる中、また、春のお彼岸の最中の19日に開催された。この日のがん哲テーマは、「がん患者の就労」で、集まったメンバーで語り合った。
2人に1人ががんに罹患する現在、がん治療の進歩により、以前と違い働きながら治療を続ける「ながらワーカー」、つまり通院しながらそれまでと同じように働く人が増え、がん患者の3人に1人が就労しているという。また、働き方改革により、働く場所も時間も自由に選べて仕事とプライベートを充実させるような在り方が政府主導で進められ、多くの企業が推進しているのは確かである。大変嬉しいニュースではあるが、もう少し掘り下げて考えてみた。
がん患者となっても就労するのは、何故だろう?
がんと告知された場合、治療に専念すべく仕事をやめたらいいのに、と考える人は少なくない。しかし、働き盛りで妻子を養っている人や一人暮らしなど当人が労働の担い手である場合、治療のためのお金も家族を養うお金も必要なのは言うまでもない。
逆に、さほど経済的に困っていなくても、仕事を生きがいとしている人には、闘病中だからといって仕事を失うのは辛い。メンタル面では、仕事をしている方が辛い治療のことを考えないですむのでいい、という声も多いのは事実だ。
では、がん患者はすべて「ながらワーカー」になれるのか?
がんには、「治るがん」と「治るのが難しいがん」の2タイプがある。言うまでもなくがんの進行状態や治療法が確立されているかどうかが判断の基準となる。仕事と闘病が両立できるのは、主治医が「治るがん」と判断したケースで、「治るのが難しい」場合は、治療そのものが大変なので大方の主治医は働くことを勧めないだろうが、決めるのはあくまで当人である。
また、「ながらワーカー」になれても、当人の具合が悪くなって出社できなくなったり、通院日と大事な会議などが重なったりすることもある。これは、子どもが急な発熱で早めに仕事を切り上げなければならない「子育てママ」の事情に通じる。
この日集まったメンバーの意見は次の通りだった。
■定年退職した後にがんが見つかり「がん患者」となった夫は、現在、がん闘病1年半。「ながらワーカー」である。といっても、以前いた会社に週に2~3日アルバイトとして働いている。仕事はあまり忙しくなく、治療を優先させてくれるので助かっているし、働いている方が闘病のことを考えずにすむので精神的に良いと言っている。ただ、温かく見守ってくださり融通がきくので嬉しいが、それだけに貢献しなければならないというストレスを感じることもあるのは確かだ。(がん患者の家族)
■世の中がまだ、がんに対する理解が低いように思う。「がん=死」と思う人は多い。それだけにがん患者が職場にいると、どう接したらいいかわからなくなり、気を使ってしまう。ストレスを覚えるような仕事を与えてはいけないと考えると生産性があがるとは思えない。がん教育の必要があるのではないか。(医療従事者)
■子どもががん患者になった時、通っている学校にどう報告したらいいか、とても悩んだ。報告することで学校側は気を遣うし、無知な生徒たちが息子にどう対応するかが、とても不安だったことを覚えている。(元がん患者の家族/医療従事者)
■昔、田舎の母ががん患者になったが、実家が自営業なので、母は普通に仕事と家事をこなしていた。というより、人使いの荒い父が母を病人扱いせず働かせたのだ。その時はびっくりして見ていたが、母は現在、幸いにも完治して普通に暮らしている。寝込むほどの状態でなければ、働くことは身体を動かすので良い作用を及ぼすのではないかと思う。
がん患者の就労支援はどうあるべきなのか? まだまだ議論が必要だ。
【2018/3/19 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)