森友・家計問題などで国民の政党支持率低下が続く現政権の前に、突如現役の東京都知事が中心となり新しい政党を立ち上げ、都政を担当しながら国政へとうってでるのかと(又しても)話題を提供し、最大野党を二つに分けてしまうかのような「排除します宣言」がなされた。劇場型選挙を週末に控え、激しい選挙戦が展開されている最中、10月16日、「がん哲カフェ」が開催された。
この日の命題は、「人は(がん哲学外来(以後、「がん哲」と表記する)に何を求めるのか?」。さらに言うならば、「どういう人ががん哲に来るのか?」だった。
この命題になった理由は、当Cafeの宮原代表が知り合いの医師(あとでがん初心者と告白)に、「がん哲に行っていろいろ議論することに意味はあるの?」と聞かれたことだった。確かにこの医師は、がん治療中とはいえ、当然医療の知識があり、仕事上もとめられる論理的な思考(冷静さ)を持っているので、集まってがんのことをあれこれ話しあうことにあまり必要性を感じないことは容易に推察できる。
そもそもがん関連の会は、患者の会、がん相談センター、マギーハウスなど多々ある。それなのに何故、人はがん哲に来るのだろうか。何を期待しているのかによって満足度も違うはずだ……。 そこで早速、集まったメンバー(医療従事者、がん患者(この日は欠席)、がん患者の家族、がん患者の家族だった者)と議論を展開した結果は次の通りだった。
●がんに関する情報が欲しい(がん患者の家族)
がん患者の家族を介護している中で、間違った治療をしていないか、もっといい方法がないか、皆はどう思っているか確かめたいなど。やはり情報はある程度欲しい。
●居場所が欲しい(医療従事者、がん患者の家族、がん患者の家族だった者)
日常的にがんに関わる生活をしていると、思ったことを吐き出したり、思いを共有できる居心地のいい場所が欲しい。
●論理的な思考(がん患者の家族)
がん患者の家族の治療につきあう中で、冷静さや精神的な余裕をなくしている自分を取り戻し、介護を充実させたい。
●腑に落ちる必要性が欲しい(がん患者の家族、がん患者の家族だった者)
がんと向き合う際に、どうして自分ががん患者(または患者の家族)となったのか、運命なのか、と問うても答えがでないことのもどかしさを解消したい。
それでは、いつ、どのようなタイミングで、がん哲に来るのだろうか?
治療を急がなければならない時は、それに専念しなければならないのでそんな余裕はなく、一区切りついて次のステージへ向かう時、もしくはある程度治療がすんだ時、という回答だった。
がんが生活の中にはいってきてしまった場合、人は自身の人生のシナリオの変更を強いられる。○歳でマイホームを建て、○歳までにお金をどの位貯蓄し、子どもたちが巣立っていった後は夫婦で念願の海外旅行をする……などと設計していたライフプランの大幅な修正を余儀なくされ、しかも未来が見えないとなると……。
勿論、未来が確定している人などいない。それだけに人は安心という保険をかけて未来に備えるのだ。そう考えると、がん哲は、心の保険ともいえる。
衆院総選挙は驚くべき結果となった。この国の行方が先行き不安なだけに、人は何かにすがるべき保険をかけることが必要なのかもしれない。それは何か、答えは自分の中にある!
【2017/10/16 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)