勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Café

コロナの時代を生き抜く
~苦境にあってもブレない心の訓練を実践する~

 誰もが実感していると思いますが、新しい年(1月)を迎えてあれこれ準備が整ったと思っていたら、いつしか2月になっていて逃げるように去り、3月という(世の中的に)別れ・旅立ちなど人生において変化にとんだ月を迎えます。3月になると、観光地浅草はいくら国がコロナ自粛をよびかけても人が集まり、コロナ禍であることを忘れているかのようにみえます。
  2022年3月度の「勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来」の「オンライン がん哲学メディカルCafe」(以下、「がん哲カフェ」と表記)は、ポカポカ陽気が続く3月14日に開催されました。浅草寺を通りぬけて帰宅を急いでいましたら、卒業式が多いせいか着飾った若い女性たちの姿で溢れていました。
  コロナ禍になって3度目の卒業シーズンですが、コロナに慣れてきたせいもあり卒業式の様子も少しずつ変わってきているようですね。ともあれ、卒業式は青春の一大イベントですから、式典を開催できるのは嬉しいですよね。

 ところで、この原稿を書くために「浅草寺(せんそうじ)」と入力していたら、「戦争」という文字に変換されました。ロシアとウクライナが戦争状態にはいった2月下旬から、この文字を書いたり話したりする機会が多いからです。悲しいことに、世界中の人々が注目する中、いまだ紛争地から爆音が消えることはなく緊張状態が続いています。
  ……そんな中、日本では、3月16日23時をすぎた頃、東日本大震災の余震とおもわれる地震が発生し最大震度6強を記録しました……。台東区は震度4、一瞬「3.11」をおもわせる揺れで眠りにはいった私はとびおきた次第。少し前、東日本大震災が発生した2011年から11年を迎えたばかりですから不安と恐怖で眠れず、結局そのまま朝を迎えました。当然、翌日(3/17)朝のニュースや新聞は、海の向こうの戦争ではなく地震報道がメインとなりました。

 この日のがん哲カフェは、いつもより少ない人数での開催。3月と4月は動きのある月ですから誰もが忙しく、その影響をうけて参加者がいつもよりも少ないカフェとなりました。広島から参加のMさん(薬剤師)は、やってもやっても仕事がへらず、特に在宅医療対応で忙しいとのこと。がん哲カフェ主宰者の宮原富士子さんも百人ちかい在宅診療の患者さんを担当していて、ほとんどの方にお薬を届ける日々が続いています。また、コロナ自宅療養患者さんに対しても同じように対応していますから、日々、物流業務がメインといえます。
  コロナ禍の中、在宅診療をうけている患者さんもケアする側の医療者も、病院での診療と比べると不自由が大きく感染リスクが高いのが実情なのは言うまでもありません。
  そんな中、1月に埼玉県では在宅診療医が患者さんの家族によって無残に生命を奪われた事件が起きました。本当に嘆かわしい限りです。この事件だけでなく、最近は医療者が患者本人やその関係者の犠牲になるケースが多いのが目立っているようです。
  自分だけが苦しいと思い、厭世的になっての行動(?)としても許しがたく怒りが収まりません。

 コロナ、戦争、地震……次から次へと難局がふりかかってきて、確かにストレスフルで不安はつきません。地震は発生することも影響をうけない国も多くありますが、日本は「地震国」ですから日本人である以上、永遠の課題です。コロナは現在、全世界の人々の共通課題です。戦争は日本では幸いにも1945年の敗戦以来、先人たちの努力のおかげで戦争をしない方針をまもっていて(一応)平和国家といえます。コロナや地震などの自然災害は避けられない事態ですが、戦争は人災ですから心がけ次第で回避することは可能です。

 がん哲学外来主宰者の樋野興夫先生は、一般社団法人がん哲学外来HPで、
「“コロナショック”で大変な時代であっても、いつもと変わらずブレない人物の訓練こそが、まさに「がん哲学外来」の実践であると考えます。」
 とメッセージを発信されています。
  苦しい時こそ鍛えられ、乗り越えることにより品性が磨かれるものです。コロナから身を守っても、大切な心が守れず壊れてしまうのはやりきれません。難局に直面したらケ・サラ・サラで乗り切る明るさを忘れずに、今日という日を生きていきたいですよね。

【2022/3/14 がん哲カフェ】(文・桑島まさき/監修・宮原富士子)

 

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